母親としての同調圧力的発言

よく女性誌や新聞などで、50代60代の会社役員や成功した政治家などのハイキャリア女性を取り上げた記事を見るのですが、必ずといっていいほど、彼女たちは微笑みながら懐かしむように言っています。

「どうしてあの時、子供が靴の紐を結んでいる時間さえ惜しくて急かしていらいらしてしまったんだろう?」
「もっと子供とたくさん遊んであげれば良かった。一日中一緒にいてあげれば良かった。」

私にあなた方に言ってあげたい。「もしあなた方が『一日中子供と一緒にいて毎日遊んであげていた』としたら、ほぼ100%あなたたちの現在の輝かしいキャリアはなかったことでしょう。
全てを手に入れた今だからこそ、そういって振り返ることができる余裕があるのです。」と。

望むキャリアや生活を手に入れ穏やかにキラキラしているあなた方をみれば、別に今『一日中子供と一緒にいた』結果、子供の手が離れた後の長い長い人生を望まないキャリアやパッとしない人生を送るくらいなら、別にそんなことする必要もないのかと思います。(べったりでいなくとも子供は勝手に育ちます。)

基本的には、キャリアの世界は資本主義競争主義的な原理で成り立っているので、(厳しいようですが)大事な場面で子供の事情でたびたび仕事を放りだすような人には、大切な仕事は回ってきません。大切な仕事が回ってこなければ、ずっとキャリアを築くこともできません。(もっともキャリアを築くことを望まない人は別です。)育児中であってもここぞというときには頑張りどころがあるわけで、上記の方々は多少無理をしてでもそれを逃さなかったから輝かしい現在があるのです。

というわけで現在キャリア構築中の身としては、「もっと子供とたくさん」云々の社会からの同調圧力から出てきたような言葉をうのみにすることなく、ただ己の価値観と判断基準に従って生き抜くのみでございます。

「絶えず常識のアップデートを怠ってはならない。」はい、肝に銘じます、キンコン西野さん。