管理職になりたくない女たち

最近、「昇進したくない女性たち」「管理職になりたがらない女性たち」といった記事を新聞や女性誌などでよく見かけます。
それらを見かけるたびに、私はものすごく違和感を感じます。
日本の企業って(これらの記事の前提が日本企業勤務の女性たちらしいので)、本人にその意思がないのに会社からわざわざ昇進させてくれるの?
外資系の企業では、以下の①②の両方の要件が満たされて初めて昇進のチャンスが与えられます。(あくまで昇進候補のまな板にのることができるという意味です。)
①誰の目から見ても明らかな成果を継続して出し続ける。
②本人が上司に昇進したい意思を明確にアピールし続ける。

だから、本人にその意思がないのに昇進のチャンスが巡ってくることはまずありえません。「管理職になりたがらない」女性が管理職へのまな板に乗れることはまずありません。

日本の企業が異常におせっかいなのか、はたまた、年齢的に中堅とよばれる領域にさしかかった女性が焦りで(実際はその実力もないのに)私は本当はその力はあるんだけど、自分の意志でわざと管理職にならないだけなのよと自己正当化しているだけなのか、私にはかなり謎です。なりなくないならそれはそれで一つの働き方なので別に敢えて声高に主張しなくてもいいのでは?(外資系では実際になれる人の方が少ないです。)年功序列が当たり前だった日本企業でも最近は昔みたいに昇進の階段を上ることが難しくなってきているそうなので、それを自己正当化する表現の一つとしてこういった風潮が出てくるのでしょうか?

管理職になりたがらない理由として、責任が重くて大変そうだから、をあげる人が多いらしいのですが、私の場合、実際に部門責任者など、自分の決定権や裁量が大きくなっていけばいくほど、仕事が楽しくなりました。新卒からしばらくの頃などは正直仕事が楽しいなどとはあまり思ったことはなく、本当に仕事が楽しくなってきたのは管理職になった頃からでした。人間(大人でも子供でも)、「やらされ感」があるとストレスを感じやる気をなくすそうです。その点、管理職レベルになれば、オーナーシップの塊のようなもので、自分がリードしなければどうしようもないわけなので、任される責任が大きい分、裁量も権限も持てるようになり、「やらされ感」はありません。その代わり、自分がドライブしているというやりがいのような感覚が生まれ、仕事が楽しくなります。

さて、女性が働くという意味を再考する上で少し前に読了した本、

印象に残ったのは、男性と女性の昇進機会について端的に述べられた以下の点でした。
「男性は実績を出す前でも、会社からそのポテンシャルを見込まれて昇進するが、女性は大抵の場合そうではなく、継続的に明らかな成果を出し続け自分の能力を証明した上ではじめて昇進のまな板に乗ることができる。」

さて、政府の女性活用促進策があまり進まないのにも、男性側、女性側の意識に問題があるからだと思います。
現在では、家族を養えるぐらいの稼ぎがある男性は、家族を養える稼ぎのある女性の数よりずっと多いのです。
つまり、まだ多くの女性の労働は男性の稼ぎの補助的な意味合いにしか考えられていないことがそもそもの原因です。オランダみたいに、男性のみ、女性のみの稼ぎでは足りないのでどちらも平等に働くのが当たり前、みたいになれば、訳のわからない扶養控除の問題もなくなるでしょうし、女性活用、活躍も一発で進むかと思います。
現在多くの場合男性で占められている稼ぎの良い仕事を、もっと女性がばんばん奪っていくようになれば、男性の稼ぎだけではとても足りない、女性も家計の収入において重要な役割を果たさなくては、みたいのなるのでは?
と、さて、世の男性諸君は、稼ぎの良い自分の仕事をどんどん女性に奪われていくことになっても、真の女性活用とか言ってられるんでしょうかね?