なぜ日々の生活が続くことへの感謝ができないのか?

3月下旬に夫が大学院を卒業しました。しかも成績優秀賞を受賞して。競争の激しい職場での激務と子育てと家事と勉強、どれもピカイチにこなした上での受賞は、もう尊敬するばかり。世の中には、スーパーファーザーっているのね。。。
私といえばその週インフルエンザA型にかかってしまい、病み上がりで息子と卒業式に行ったのですが、行けてよかった。そこは私が20年前に入学した場所だったのよね。懐かしい。。。

さて、五代様と旦那様で女子メロメロの朝ドラ「朝が来た」がいつの間にか終わっており、「とと姉ちゃん」に代替わりしておりました。たまたま見た初回放送で、その家族のお父さんが、「家族が一緒に出かけられるのは長女が嫁に行くまでのあと80回しかない。日常がどれほど奇跡でありがたいか。」といった話をしていました。最近、「毎日は小さな奇跡の積み重ね」、「今日も朝を迎えられたことに感謝しなさい。」といった言葉をそこらじゅうで耳にします。

今日も朝、子供のお迎えをめぐって夫とケンカをしました。
どうして、毎日朝を迎えられることに感謝しないのだろう?どうして毎日は小さな奇跡の積み重ねだって思わないのだろう?どうして日常の幸せに感謝しないのだろう?どうしてすぐイライラしてしまうのだろう?どうして毎日子供と過ごせることに感謝しないのだろう、一緒に過ごせる時間なんて実はほんのすこししかないのに。どうして今の幸せに毎日感謝しないのだろう?どうして。。。もうキリがありません。頭ではわかっているつもりでも、いや、そもそも頭ですら分かっていないのかもしれません。

去年も4月にインフルエンザB型にかかり、トータルで精神的にも1ヶ月近くダメージを受けたのち、健康であることがいかに幸せかを病床で実感していました。しかし、いつの間にか健康であることへの感謝を忘れて久しい1年後にまたかかりました。精神的に回復しつつある現在、ジムやランニングやピラティスにて体力作りに励んでおります。しかし、またすぐに有り難さを忘れるでしょう。
失って初めてそのありがたさを思い知る、とは言ったものですが、失ってからでは遅い。
毎日の小さな奇跡に感謝しながらも、さらに良くなるようポジティブに願い(もっと良くなるはずだと不満にせず)毎日を過ごしたい、心からそう思うのです。