個性は「かけ算」。

数日前の日経の一面記事に、日本のほとんどの大学は「グローバルに活躍できる学生を育成する」事を目指しているとありました。

はて? その大学の言うグローバルな学生ってなに? 定義は?

ヨーロッパの大学院を受験する際、入学審査のために様々な判断材料の提出を要求されました。
TOFLEやGMATなどの語学力や学力を証明する書類の他、CV(職務経歴書)、自分がどれだけユニークな人材でどのようにクラスに貢献できて将来どのようになりたいかを綴ったエッセイ、職場の複数の上司からの推薦状、大学の成績証明書、そして最後には入学審査官による面接がありました。

学校側の生徒の入学選抜の基準は、クラスに様々なバックグラウンドを持つ学生を集め、ダイバーシティ(多様性)の幅を持たせてクラスの授業や学生生活に良い化学変化を起こせる人材であるかどうかであって、似たような属性を持つ学生ばかりを集めたりはしません。

頭では分かっていても、実際にはそれがよく飲み込めていないのが悲しいかな、ずっと日本で大学まで教育を受けてきた私のような人たちは、よく、海外大学院受験セミナーの講師や、エッセイの指導教官にこんなことを質問してしまうのです。

「私は特に目立って優秀でもなく、バックグラウンドもいたって平凡なので、世界中から集まってくるとっても優秀な受験者に比べたら特に個性的でもなく見劣りがすると思います。こんな私でも入学できる学校なんてあるんでしょうか?」

そして、セミナー講師やエッセイ指導教官は決まってこのように答えます。

「(欧米の)大学院側は、様々な個性をもった学生を世界中から集めて、多様性に富んだクラスにしたいと思っている。例えば、あなたが、
日本人で、女性で、大学は理工学部卒で、現在は金融業界のシステムエンジニアで、30歳代で、趣味は茶道、といった属性を持っている場合、
すべての属性を掛け合わせると、
女性 X 日本人 X 理工学部卒 X 金融システムエンジニア X 30歳代 X 趣味は茶道 = そんな人はめったにいない!(個性!)

女性だけならたくさんいる、日本人だけならたくさんいる、でもあなたの持つ全ての属性を掛け合わせると、同じ人はめったにおらず、それこそあなたは個性的だ!ということになります。大学院側が求めているのは、そういう意味でのダイバーシティなのです。」

日本の大学の入学試験は、多くの場合、学力テストの点数順に合格者が決まってしまいます。
合否基準があまりにも画一的なので、受験教育の中では、あまり自分の個性というものは重視されず、それに気付かせてくれる機会も多くはありません。テストの成績が良くないというだけで、どうせ私なんて、と卑屈になってしまったりします。

しかしながら、欧米の大学院入試は、(もちろん、授業についていけるだけの語学力、学力をクリアしている事は最低条件ですが)学力テストの成績ばかりを重視することはなく、それ以外の材料から判断される個性で合否が決まります。

点数だけではなく、自分の属性のかけ算(=個性)で決まる。

私が思う、グローバル人材というのは、バッググラウンドの異なる人たちの中で、自分の個性を発揮しながらチームの中で求められる役割を果たす人、自分の持つ属性のかけ算で個性を出し、それをうまく利用しながら成果を出す人だと思っています。

仕事だってそうだと思います。
視野の狭い人たちは、自分のことを特に専門職じゃないから平凡なサラリーマンだと思っているかもしれないけど、
実際世の中のジョブマーケットを見てみると、例えば、一見どこにでもありそうな以下の個々の属性でも、掛け合わせると、
日本語ができる X 英語ができる X 金融の業務知識がある X システムエンジニア = 専門職よりはるかに高い収入と良好な職場環境
を得ている人たちがたくさんいます。

ジョブマーケットだってそう、自分の属性を掛け合わせて売り込んでいくと、似たような候補者はぐっと少なくなり、個性が発揮されて、ハマれば高収入を得られる仕組みになっているのです。

あなただって私だって、
日本人 X 女性 X ママ X 職歴 X 趣味 X その他云々 = 唯一無二の個性になります。

かけ算で勝負だと思うのですよ。子どもにもそう伝えたいと思います。