今年はもっと正直になります。

あけましておめでとうございます。
お正月は夫の実家のある新潟で過ごしました。
これは、夫実家付近にある、雪で覆われた棚田です。清らかで美しい光景でした。
下の秋の収穫時の姿と比べるとうっすらと面影があります。

さて、車を運転していた夫が言いました。
「そこそこ稼いでいるはずなのに、なんか豊かな感じがしない。」
??私は結構、今のQuality of Life高いと思っているんだけど?
理由を聞いてみると、「最近平日は仕事や学業で時間に追われゆったりと過ごした(ex.平日夜に小粋なレストランで気軽に食事する等)記憶がない。」とのことでした。
(まあ子供が生まれる前や生まれた後でも夫婦揃って同じ場所に勤めていた時代はそういったこと結構日常的にしてましたけどね。)

では、彼に、
「一生、仕事はしなくていい、生産的活動は何一つしなくていい。朝昼晩小粋なレストランで食事して酒飲んで、好きな時に好きな場所へ旅行に行ってもいいよ。」という夢のような毎日をプレゼントしたとしましょう。彼はどうなるでしょうか? 向上心と向学心が人一倍強く、時代の進歩に貢献したいと願う彼にとってはそれはもう拷問のような日々。もしそんな生活を60になるまで毎日続けなくてはならないとしたら間違いなく発狂するでしょう。
それは私にとっても同じことです。そんな一見夢のような手足をもがれた生活が年とるまで延々と続くと発狂するでしょう。
従って、多少平日いいレストランで食事する時間がなくても、暇をもて余して一杯やってるよりバリバリ働いている方が彼にとっては幸福なのは明確です。(それは自分でもよく分かっていると思います。)

要は、自分が何をしたいのか?どういう状況なら幸せを感じるのかをはっきりさせておかないと、いつまでたっても幸せを感じられないまま、歳をとってしまいます。
ここで重要なのは、自分の本心をごまかしたり騙したりすると歪みが出てくることです。例えば、もともと本心では国際的にバリバリ活躍したいと思っていた女性が何らかの事情でそれが叶わず専業主婦として家庭に入った場合、本当は働きたかったのに、自分は家庭にいることが一番幸せと自分に言い聞かせて本心を抑えてしまうと必ず精神が歪みます。(価値観が変わって本当にそう思っていれば別です。)変なところにエネルギー使うかも知れません。

かなり好き勝手に生きてきた私でも、今まで社会的な圧力や制約で自分を抑えざるをえなかったことは多々あります。しかし、今はもう自分にとって何が幸せか分かりますし、あまり我慢や自己抑圧の必要性も感じられません。
好きな人や物に囲まれて、好きな人や興味関心を大事にして、面白い仕事して、何にも縛られず素のまま強気に生きることが好きです。ですので、今年は特に、心を無理に偽らないように、思うままにストレートに気持ちをぶつけて過ごしたいと思います。そして、ストレートに正直に生きるということは、何かと闘って自由を勝ち取らなければならないイバラの道なのです。←ここが先述の2016の決意につながりますね。