コミュニケーション ブラックアウト

今日のNHKの9時のニュースで特集されていた、文月メイさんの「ママ」。
この歌(とそれに合わせたアニメーションを見たとき)を聞いたとき、それはもうわたしにとっては、「火垂るの墓」映画以来のとんでもない衝撃でした。
もう涙が溢れて止まらず平常心でいることができません。しかし、その衝撃に慣れさえすれば、まぎれもなくこれはこころのデトックスソングになることでしょう。
(といっても私はしばらく慣れそうにない。)

さて、コミュニケーション ブラックアウト、小売の現場で使われたりする言葉なのですが、
例えば12月のホリデーシーズンで店舗がかきいれ時で忙しいとき、この期間は本社が店舗に対して何か重要でない質問をしたり、レポートせよとかいったりごちゃごちゃ指示する事を原則禁止する、店舗は余計な事を気にせず販売に全力集中せよ、というもの。

今日ここではそれとは違った意味でこの言葉を使いたいと思います、なんか言葉そのものの意味としてしっくりくるので。

今週の連休明けからムスコにじんましんができました。今日でじんましん出現2日目。一日のうちでもできたり消えたりするんだけど、さすがに夜はかゆくてよく眠れないようで本当にかわいそう。
これを見て、原因がなんとなく集団生活からくる「疲れ」と「ストレス」なんだろうなってピンときた。

今年の夏にも保育園でムスコに突然じんましんができて、2日目ぐらいに小児科へ連れて行ったところ、原因は分からず、急性じんましんと診断され、じんましんに効く漢方薬とかゆみ止めをもらって様子を見るようにとのことでした。
(まあ、じんましんの70%は原因が分からないそうで、一ヶ月続くようだったら慢性じんましんの疑い有りとのことで再受診が必要だそうです。)
でたり消えたりで結局一週間続いたんだけど、その後夏休みに突入し、石垣島のエメラルドグリーンの海原に建つリゾートホテルで親子水入らずでムスコとたっぷり過ごしバカンスを楽しんだところ、到着したその日から旅行中は一度もじんましんは現れず、東京に帰ってきてまた保育園に通い始めてからも一度も出現することはありませんでした。

そしてそれから一ヶ月あまり経った今、また出現しました。
そういや、この連休中は、家に人がたくさん来たり、人が集まる会合に連れ出したりと、人が集まる所に連続で連れ出してしまって、あまりムスコとべったり過ごしてあげることが出来なかったと思う。
特に、それらの会合に幼児がたくさんいたりすると、その世話やコントロールに余計気を取られたりする。
そういやその一ヶ月ぐらい前に人がたくさん出入りしたことがあった時も、熱を出した。
その前の、人がたくさん集まった休日の次の日も、感染症にかかった。

。。。反省。。。
そうだよね、普段大きな保育園でたくさんの子どもや大人と毎日12時間近くも接しているんだから、そりゃあ疲れるよね。3×歳のわたしでも疲れると思う。たった1歳半弱のこどもならなおさら大変だと思う。
週末ぐらいママパパ独り占めして家族だけでゆっくり過ごしたいよね。

やなせたかしさんが「人生は長い」と言った、そうかもしれない。しかし、私は、同時に、最近非常に人生の有限感を感じている。
今この時期のママママとすがりついてくる息子と過ごせる時なんて、実はほんのわずかな時間なのかもしれない。
時間は限りがある。その貴重な残り時間を本当に大切な人と過ごさずしてどうするのだろう?

毎日忙しく過ごして疲れていると、人生の優先順位がごちゃごちゃになってしまう時がある。
1番は子ども、2番は家族、3番は仕事。 (CREA 11月号 母になる特集の課外授業、西原先生の言葉をお借りして。)

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そういうことで、しばらく週末はムスコと家族水入らずでゆったりと過ごします。
コミュニケーション ブラックアウトです。