ダイバーシティ教育。

昔いた会社のオランダ人の同僚から、娘さんの大学の課題を手伝ってやって欲しいと頼まれた。

課題は、「日本における終身雇用と年功序列についての考察---終身雇用や年功序列がまだメインストリームなんですか?」

ここで現役日本人労働者としてオランダ人大学生の皆様に一言もの申してみる。
メディアはあたかも終身雇用や年功序列が日本における雇用制度のメインストリームみたいに言ってるけど、
もともと終身雇用を享受してきたのは公務員と日本の伝統的な大企業の正社員であって、全労働者の数%にも満たない。要するに少数派なのである。
その少数派である公務員でさえも年々採用数をかなり絞っており、日本の大企業も拠点を海外に移し始め、大規模なレイオフを始めている。
だいだい終身雇用とは、経済の移行期の雇用形態のひとつであって未来永劫続くようなものではない。
だいたいアメリカだって1950年代には自動車業界を始めとした大企業が終身雇用を掲げていたが、1980年代の日本の台頭によって経済危機がもたらされてからは終身雇用から移行している。グローバル競争にさらされている日本だって例外でいられるはずがない。
今は日本政府だって転職しやすいようなキャリア形成を奨励したりして雇用を流動化しようとしている。

彼女のグループは、その課題で全グループ中第1位の評価を取ったらしい。
まあ、おおかたのグループが、日本の事をよく知りもしないヨーロッパ人の比較文化学者あたりが物知り顔に書いた時代錯誤の日本文化論なんかの本を鵜呑みにして、やはり日本は現在においても終身雇用と年功序列がはびこる特異な国でした、ちゃんちゃんとかいう安っぽい結論に落ち着かせている一方で、現役労働者の生の声を取り入れた彼女のグループの論文はステレオタイプな結論でないところが目立っていたのでしょう。

大学院に留学していた時も、実は日本の事をよく知らない政治学者や文化人類学者なんかが出て来て、日本について時代錯誤感満載の授業をしていた。そして我々日本人学生はそれを訂正しなくてはならなかったし、それがそこで期待された役割だった。それは日本だけでなく他の国からの学生についても同様だった。こういうとき、ダイバーシティ(多様なバックグラウンドを持つ学生の集まり)は本当に大切だと思う。それぞれが間違いを訂正し、生の情報を提供することでよりお互いリアルに物事を学べるのだから。

って、実はここで別にそんなことを言いたいんじゃないんですよ。
(実は日本についての課題云々なんてどうでもよく、)私が驚いたのは、その次の話なんです。

その20歳の娘さんは、初対面の私に以下のように言ってきました。
「自分は大学で何を選考していて、何が得意で、どんなスキルを持っていて、あなた(私のこと)が働いている業界にとても興味があって将来その業界で働いてみたいと思っている。来年NYでインターンをしたいと思っているので、コネを紹介してくれませんか。」
これを聞いて本当に、ヨーロッパの学生はすごいなあ。。。と感心した。

自分が20歳のときは、自分の強みとか将来の仕事のこととか考えた事もなかったし、ましてやずっと年上の初対面の外国人に自信たっぷりに自己アピールとかしてコネをつくろうとかとても出来なかった。恥ずかしいし自信がないから。

留学中に痛烈に印象に残ったことのひとつといえば、「ヨーロッパの若者はなんてエラそうなんだ!」ということ。このテーマについてはあまりにも感動して留学中に論文を書いたほど。

彼らは常に自信にあふれ、堂々とふるまい大きな声で発言する。
私自身も同じアパートの階下に住んでいたひと回りも違うギリシャ彫刻みたいな巻き毛の学部の男子学生によく叱咤激励され諭されていた。
内容自体はたいしたことないんだけど、自信たっぷりに堂々と言い渡されると妙にすごいことを言っているように錯覚してしまう。

ヨーロッパ人だけでなくアメリカ人やインド人の学生や同僚とも遊んだり勉強したり仕事したりして強く思ったのは、なんで彼らはこんなに根拠のない自信にあふれていて堂々とたいしたことないことを主張できるんだろう?

それは、彼らが子どもの頃から褒めちぎられて育ってきているからなんです。
何をするにも、子どもの頃から親や先生、周囲から褒められて育つから根拠のない自信にあふれた大人になる。
短所には目をつぶり、長所を褒めまくってさらに伸ばすことで子どもに自信を植え付ける。
子どもが悪さをした時でも、親は頭ごなしに怒鳴るのではなく、どうしていけないのかを諭す。

これに対して日本人って、昔は子どもは殴って教えろみたいなところがありましたよね。親にはしょっちゅう怒鳴られてたりしてたし。
頭ごなしに怒鳴られると子どもじゃなくても萎縮しちゃいますよね。そして怒られてばっかだと自信も喪失してしまう。
長所をのばすというよりも短所をなくすことに目がいきがちで結局平均的な教育をしてしまう。その結果、自分の強みも認識することができないままなんだか自信のない大人になってしまう。

日本の会社もそう、結構部下をどなる上司って見かけません? でもこれが許されるのは日本の会社だけで、欧米の会社だと、怒鳴った時点で精神的に未熟でマネジャー失格と見なされ周囲からの目も冷たくなります。怒鳴ったら負けなんです。

私たちの子どもは、確実に、小さい頃から褒めちぎられて育てられてきた自信満々の外国人と一緒に仕事していかなくてはならないでしょう。同じ仕事をするのにも、自信満々の人と萎縮して自信なさげな人とでは自ずと成果が違ってきてしまいます。

ダイバーシティの中で生き残れる子どもにするには、怒鳴っちゃだめなんです。褒めて自信満々に育てないと。

自我が出てきていたずらが大好きな子どもに思わず怒鳴ってしまう自分の未熟さに本当に嫌気がさしてしまうとき、呪文のようにそう唱えます。怒鳴っちゃダメ、怒鳴っちゃダメって。
ああ、誰か子どもにイライラしても怒らないですむ方法教えてください。未熟な母でゴメン。。。