「自殺希少地域」とコミュニティの人間関係の緊密度の関係

今週はなんと1年がかりで抱えてきたある一つのプロジェクトがようやく終わりを迎えることになり、今は脱力状態です。この1年間余りにも欧州本社の事情で事態が二転三転し、散々本国と喧嘩もしたし、挙げ句の果てには社長含むいろいろな国の人を巻き込んで台風化した案件、日本法人にとっては歴史的な一歩となりました。

さて、昨日、SNS経由で、大変興味深い記事に出会いました。私が「コミュニティ」のあり方について普段から感じていることを見事に表現して整理してくれた記事でした。

自殺希少地域である旧海部町で住民アンケートをしたところ、隣近所とのつきあい方は、「立ち話程度」「あいさつ程度」が8割を超えていて、「緊密」とした人たちは約16%と少数派。一方、自殺で亡くなる人が多い地域で「緊密」とする人たちは約4割を超えていた。森川さんのフィールドワークでも、旧海部町のコミュニケーションは軽く、慣れているとありました。コミュニティが緊密になるほど、排他性が生まれ、その中に入っていけない人が孤立するというご指摘は、なるほどと思いました。

(引用元)
"自殺が少ない地域" の「生きづらさ」を減らす仕組みを探して〜精神科医・森川すいめいさんに聞く | ハフポスト

今では若年層の死因の多くを占める「自殺」。私たちは、ここから自らの子供達をなんとしててでも守り通さなくてはなりません。
人間関係が密なコミュニティほど、排他性が生まれ、その中に入っていけない人が孤立し結果として自殺率は高くなる、逆に自立した人たちのゆるい人間関係で繋がるコミュニティほど自殺率は低くなる。
この事実に基づいた考察は、人間関係の緊密さとコミュニティとの付き合いかたを考えさせられます。とりあえず人間関係の密なコミュニティに属しているという安心感が些細なきっかけで暗転し、生活や精神や生命を脅かしかねない存在になります。私には、ある一つのコミュニティに属していることを自分のアイデンティティーの拠り所にしてはならないという警鐘に感じられます。子どもにだってそう、一つの価値観、狭い一つのコミュニティだけに属させることを強要するのはあまりにも危険です。学校や地域だけでなく、たくさんの価値観がぶつかる環境で過ごしてもらいたい、やはり大きくなったら子どもを海外に送りたいと思います。島国の日本ではやなことがあっても逃げられず、悶々と自殺してしまうかもしれないけれど、大陸ならば都合が悪いことがあってもどこまでも陸続きで逃げて別の場所でいくらでもやり直すことができるって。別に海外に送るとかいう他にも手段はあるとは思うけど、多くの価値観が集まるゆるいコミュニティで、そういうフレキシビリティと強靭なメンタルをつけてもらう手伝いをすることが、子供にしてあげられる、強力な防衛手段だと思うのです。
(すでに私は自衛手段としてそういうメンタルが染み付いています。そして最近は、いろんな環境を転がり続ける覚悟と強い意志もすわってきたような気がします。Rolling stones gather no moss...ってね。)