「世界一服にお金をかける男たち」と「暮らしの質を高める秘訣」

数日前、あるテレビ番組を子どもとぼーっと一緒に見ていたところ、その衝撃的な内容にみるみる引き込まれていきました。

「地球イチバン-世界一服にお金をかける男たち」
http://www4.nhk.or.jp/ichiban/x/2014-12-04/21/19531/

土煙舞う道端を、色鮮やかなスーツに身を包みかっ歩するコンゴの紳士達。彼らはサプールと呼ばれ、ひとたび現れると、人々が家々から飛び出し、喝采を送る街のヒーローだ。しかし、その正体は平均所得月2万5千円の一般の人たち。給料の半分以上を衣服につぎ込む、その彼らの正体とは?

平日は電気工や美容師やタクシー運転手として働き、週末になると高級ブランドのスーツや靴を見事に着こなして街を練り歩き社交場へ向かうコンゴの男性達。もともと彼らは背が高くスラッと痩せていてスタイルがいいところに仕立ての良いブランドスーツがとてもよく似合っていて格好いい。しかもコーディネートは自分で何時間もかけて考えていて色の遊びがうまくそのセンスの良さにはおしゃれで渋くて目が釘付けになってしまう。そのこなれ感はその辺の下手な白人男性モデルなんぞ全然かなわないレベル。
貧しい発展途上国の貧しい人々の間でなぜこのような文化が育ったのか?なぜこんなにも高度なセンスが身に付いているのか?ちょっと豊かになるとこれ見よがしにデカデカとしたブランドロゴのついたバッグや洋服を身につけるセンスのかけらもない(中国とかの)アジアの人々とはおしゃれセンスの発展レベルが違いすぎる。
もともとアフリカにはあまり興味も関心もなかったのですが、この番組をきっかけにしてかなり印象が変わりました。劇中のあるベテランファッショニスタは言いました。
「中身は外見から透けて見える。いい服を着ると自信がついて外見にふさわしくあろうと堂々と行動することができる。ひいてはそれがコンゴの若者の健全な発展につながる。」
そして彼らはまた日常に戻っていく、また週末輝くために。

貧しいながらも彼らは日々をおざなりにすることなく、毎日を輝かせ、日常を楽しむことに投資し工夫し努力している、その事実が私にとってはとても衝撃的でした。

これは、最近読んだ本の一節を思い起こさせました。

「日常が突然、特別なものに見えてくる」。筆者は暮らしの質を高める秘訣として以下を挙げています。

いちばん良い持ち物を普段使いする。
素晴らしい家具に囲まれて暮らす。
上等な食器を普段使いする。
良いもの以外は捨てる。
何事にも質の良さにこだわる。
身近な人にもマナーを持って接する。
一人のときこそ美しく振るまう。etc...
いつもいちばん良いものを使って毎日を素敵な気分で過ごそう。持ち物も振る舞いも最高のレベルを目指そう。そうすればありふれた日常が特別になって、人生がもっと面白くなるから。

そして、コンゴの紳士達や、この本は、私自身が普段から感じていたぼんやりとしたことを具体的に言葉にしてくれました。
それは、毎日が大切なかけがえのない日々だということ。
例えば、私は、何か特別な記念日のために何ヶ月も前から予約困難な遠くの人気レストランの予約をとったりはしません。もちろん近くの行きつけの気に入った雰囲気の良いお店で食事をしたりしますが、その日のために、必要以上にリキんで鼻息を荒げたりはしません。なぜなら、あまりに何ヶ月も先のその日ばかりをフォーカスしすぎてしまうと、それまでの日々がただやり過ごすだけの無味乾燥なものに感じてしまうことになりかねないからです。
どうせなら、毎日がかけがえのない特別な日で、記念日や何かはその延長線上の特別な一日、であってほしいと思っています。だからこの本を読む前から、結果的に、先述の秘訣の最後の一つ以外は実行していました。

ここで、私が何年か前に雑誌で見かけて衝撃を覚えたパリス=ヒルトンの名言をふたつ。
(別に彼女のことが好きな訳では全くありませんが、とくに2番目のは示唆に富んでいると思います。)

毎日が誕生日のように生きていくべきよ
どこへ行くにもかわいらしく着飾りなさい。人生は短過ぎてすべてを着られないんだから

そう、実際の人生において、もうみんな分かっているとおり「特別なとき」なんてめったに訪れないのだから。「もったいないから特別なときにとっておこう」なんて悪い口癖はやめましょう。
たとえ「ああ、今日も子どもを寝かしつけている最中に一緒に寝てしまった」と夜中に最悪の気分で目覚めることがあっても、かけがえのない特別な毎日を生きていると感じたい、改めてそう思いました。