「日本のインテリアはやっとここまで来ました。」について

最近、子供が寝静まった後にインテリア本をぱらぱらめくるのが日々のささやかな楽しみになっています。
猛暑で外出意欲が減退すると、自然と家の中のことに目がいきがちになってしまうものなのでしょう。(そして梅雨の時期、極寒の時期しかり。。。)

これらの本で紹介されているインテリアは、ただマンションのモデルルームをコピーしました、とかいう味気のない感じではなく、住む人の嗜好にあわせていろいろ工夫された大変味のあるものになっていて、ああ素敵ーーだけではなく、真似したい生活のヒントが散りばめられていました。最近のお気に入りでいつでもめくれるようにテーブルに積んでいます。

その中でも目にとまったコピー、Actus123人の家の「日本のインテリアはやっとここまで来ました。」これの意味することについて勝手に考えてみました。

現在のマンションへの引っ越しの時にお世話になったある老舗家具メーカーの営業の方が言っていました。
「日本ではまだまだインテリアや家具に投資しようという考え方は浸透していない。大抵の人は服飾にはお金を使うが、インテリアにまでお金をまわす余裕がない。」
以前オランダに滞在していた時、近所の家々が、ピカピカに磨かれた大きな窓から美しく飾られた室内を道行く人にさも自慢げに見せびらかしていたのを思い出しました。私が、従来の無難かつ退屈なモノトーンベースのインテリアから、design-oriented、シンプルかつモダンでスタイリッシュ、そしてパキッとしたカラー使いを効果的に生かした北欧インテリアの美しさに目覚めたのもこの頃でした。北欧や西欧の例からも分かるように、平和で、精神的かつ経済的に成熟国であること(そして家に閉じこもらなくてはならない日が多い気候条件)がインテリア産業が発展する基本条件となるのでしょう。そして、日本においても、最近30代半ば以降をターゲットにした女性誌等がこぞって、「キャリアを積み成熟した大人の女性に(服飾の)次に必要なのは上質な家具とホーム製品(インテリア雑貨)」的な煽りをしています。精神的にも経済的にも多少余裕が出てきた、服もある程度揃っている、さあ次はそろそろ上質な住環境を整えよう、てな訳です。いわばインテリアセンスの発達度は、その社会の成熟度を表しているように思います。

私は社会人になってからわずかな期間でしたが都内の某美術大学でデザイン学をかじり、また現在はわずかながらでも多少の感性が求められるような職についているのですが、その中でふと日本とアジアにおいての感性の発達度についてふと思うところがありました。

1. お金に多少の余裕ができるといいもの(=ブランド物)が欲しくなる。
2. 誰が見ても分かるようなもの(=大きなブランドのロゴ付き、モノグラム)が欲しくなる。
3. 感性が磨かれるにつれて、ブランドの洗練さやデザイン重視でもの選びをするようになる。(=ロゴ付きが恥ずかしくなる。)
4. 誰もが知るビッグブランド(=他人に誇示するためのものの所有)のものから、ニッチであっても自分の好むライフスタイルにあった良質なものを開拓していく。

1 --> 4の順番に、精神的、経済的に成熟し感性が発達している状態になります。
例えば、顕著に見られる地理的な傾向に分けていうと、1から順に、東南アジア->中国->台湾、香港、シンガポール->日本が相当し、また、日本国内で言えば、1から順に、地方->地方都市部->首都圏->都心部、といった感じです。

これをインテリアに当てはめると、
1. お金に多少の余裕ができるとちょっといい家具が欲しくなる。一般的なマンションのモデルルームに置いてあるような家具に憧れる。
2. 誰が見ても高そうだと思われそうなもの(革張りの馬鹿でかいソファ、馬鹿でかい大理石のテーブルと革張りの椅子、ガラス張りのキャビネットetc.)が欲しくなる。
3. デザイナーズ家具や、北欧、アンティーク、フレンチ、カントリー、エスニック等の自分好みの各種テイストで部屋をまとめたくなる。楽天とかでよく売ってるデザイナーズ家具の安価な偽物(リプロダクション)に手を出すこともある。
4. 好みの各種テイストをベースに、自分が憧れる世界観、ライフスタイル実現の場としてのインテリア作りをする。ただ単に「XX風でまとめました」とかいうのではなく、各種テイストをmixしたり雑貨等で自分なりに生活しやすいようにインテリアを工夫し自分の味を出す。気に入ったデザイナーズ家具も積極的に取り入れる。本物の良さ、デザイナーの精神や歴史などのストーリーに敬意を払い、多少高価であっても本物を手に入れる。

1---> 4の順にインテリアの感性が発達した段階になります。
ここで、「日本のインテリアはやっとここまで来ました。」の意味づけをすると、日本のインテリアもようやく3や4の段階に来ました!的なことを言っているのではないかと思われます。(そして上記の本の大部分は3,4の段階のインテリアに相当します。)
例えば、1や2の段階にいる金持ちの中国人には、3や4の良さはさっぱり分かりません。したがって上記のインテリア本の良さも分からないでしょう。感性は金だけでは育たず、環境にも左右されます。

生活や精神的な余裕があり、かつ環境に恵まれていないと、そもそも感性も発達せず、インテリアセンスも磨かれません。
そういう意味では、インテリアは、精神的なゆとりがあるかないかを表すひとつのバロメーターだと思いますし、成熟した人間としての魅力を持ち、感性を育みバランスの取れた豊かな生活を送るためのエッセンスだと思っています。

さて、今日も本をぱらぱらめくり、想像の翼を広げて好みのインテリアデザインで埋め尽くされた自分の架空の家に思いを馳せて寝ることにします。(花子とアン風)
もっとも悪天候が普通で家好きのイギリス人が言うには、インテリアの追求には終わりがない、人生を通しての旅だそうですが、確かに、ここでおしまい、というのがない終わりのないものに思えます。。。

関連記事はこちら↓
フィンランドと新潟の類似性からみる過疎地マーケティング - MBAママの育児休暇